夏目漱石の代表作の一つ、小説「草枕」の冒頭。理知ばかりでは他者と衝突し、他人の感情に流されれば足元をすくわれる。意地を通せば窮屈で生きづらい。そんな世界を、少しでも住みよいものにするのが芸術家だ。

 

ここに詩人という天職ができて、
ここに画家という使命がくだる。

山路を登りながら、こう考えた。

知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。

人の世を作ったものは、神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらする、ただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は、人の世よりもなお住みにくかろう。

越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は、人の世をのどかにし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。(夏目漱石「草枕」より)

 

夏目漱石 Natsume Soseki(1867 – 1916) 江戸(現在の東京)出身の小説家、英文学者。